「誰かを本気で好きに成ると言うことは、自分のプライドを棄てると言う事。」 あたしはバイト帰りの、20分の帰路を、制服で歩く。夏の香り。煩いほどの蛙の声。田んぼ中に蛙が居るのかと想うと吐き気がする。 足音だけが響く道で、通学用の、大きな眼球がプリントされたグレーのメッセンジャーバッグを提げ、片手にバイトの余り物の、お饅頭の入った袋、 もう片方に、携帯電話を煌々と光らせた。 バイト先の匂いは、辛い春先を思い出させる。ロッカーを空け、着替えを済まして、開いた携帯電話、震えない。いつものこと。 メールをしないのは此方だ。女子として、否あるいは人間としてのプライドが、せめてものプライドが、あたしに送信ボタンを押させない。 あの人のことが好きだったのは、此間まで。「ごめんね」其の返信とともに、あの人があたしを見下しているのを確信したとき、私は自分のプライドが、酷く傷つけられたと気付いた。 最早、あの人が好きなわけでなく、あの人に傷つけられた分、あの人をどう傷つけようかと其ればかりだ。 せめてもの、あたしの攻撃が、あの人からのメールを、全て無視することだった。それでも、こうして疲れて、作り笑顔の裏に憂鬱を隠して、タイムカードが押される音を聞き、 ロッカールームに辿り着いたら、考えるのは、あの人は今日、あたしのことを考え、あたしに対し何かしらのアクションを起こそうとしたか、と、それだけ。 ああ。きっとあたしがあの人のことを考えている百分の一さえも、あの人は私のことなんて考えてないんだわ…。薄々気付いているのに、其れを認めるのが厭だった。 そして見てはいけないものを、覗いてしまった。あの人のやっている個人サイト。私を振ったあの人は、素敵な女性とお付き合いしているという、情報。 ああ。どうしてあたしはこんなにも傷ついているのかしらね。もう、好きじゃないはずなのに。ああ、単純に失恋が哀しいのではないのだわ、 散々プライドを傷つけられ、そして、本当に、あの人はあたしの百分の一も、それどころか千分の一も、一億分の一も、あたしのことなんて考えてなかったことを、はっきり知って、 辛いんだわ…。 例えば此処でいきなりあの人に気が変わって、お出で、とあたしに手を差し伸べたとして、全てのプライドを棄ててでも、泣き縋り、どんなに傷つけられても大好きよ、なんて、言えやしない。 そんなにも、安い女ではない。 あの人は勝ち誇った顔で嘲笑っているでしょうね。最早、恋でもなんでもない。自分のプライドを守り相手のプライドをいかに傷つけるかの競争だ。人間って汚いな。 テレビドラマで見る相思相愛は、テレビドラマだからこそあるもので、テレビドラマは所詮空想、現実には起こりもしないから、誰かが理想を詰め込んだ物語でしかなく。 そういうものを「恋」として育ったあたしは、現実の「恋」が、こんなにも汚いものだと知らなかった。綺麗じゃないね。 云ってしまえば、人間が生きる事だって、綺麗じゃないのだから、当たり前かもしれない。 食欲がおきてご飯を食べて、排泄欲でトイレに行って、睡眠欲を満たすために布団に入り、性欲を抑えきれず一人で処理したり無理やり恋人を作ったりする。 綺麗じゃない。それでも人間は、汚いところを必死に隠して、綺麗でいようとするから。 本当はお腹を壊してトイレに篭ったり、眠れない夜に性的衝動が訪れ自慰行為に至ったりするのに、それを隠して、綺麗で居たがるから。恋だけじゃない、全部、綺麗じゃないんだ。 あたしは二回目の恋に酷く落胆した。初恋は、美しいというけれど、確かにそうだった。二回目から、現実を知った。汚い現実を。 3年後のあたしが、またおんなじことを繰り返すなんて、いまのあたしには、知ったことじゃない。 其のときは、プライドを守って、上手く乗り切ってほしいわ。 そして3年後のあたしは3年前のあたしと同じ携帯電話を煌々と闇に浮かべた。 最早3年前とまったく変わらぬ状況に、「人って変わる部分もあればまったく変わらない部分もあるのね。」なんてため息一つついて、無気力にそらを仰いだ。